光の射す方は?

複雑性PTSDに悩む妻の闘病をお手伝いする日記。

BUMP OF CHICKEN に学ぶPTSD ① 〜パレード〜

 まずはじめに。このシリーズ(続くのか不明)は、BUMP OF CHICKENの歌詞を

勝手に解釈させて頂き、PTSDの性質や対処法について学ぶ、という趣旨のものです。

 

BUMP OF CHICKENの歌詞を手がける藤原さんがPTSDなのかなんて全く不明ですし、「藤原基央 PTSD」で検索しても何も出てきませんので、ただの私の妄想です。

しかし、歌詞をみる限り当事者としてトラウマ、PTSDにかなり近い感覚を持ったことがあるのでは、と思います。何より、歌詞の解釈は自由なはずですので。

 

なお、PTSDの知識に関しては、下記の通りヴェッセル・ヴァン・デア・コーク先生の「身体はトラウマを記録する」からの引用もしくは解釈が中心となります。

 

さて、映画「寄生獣」の主題歌となった曲「パレード」は、PTSDで言うとフラッシュバックの性質を言い当てているように感じています。

 


BUMP OF CHICKEN「パレード」

 

まず、冒頭のフレーズですが、

帰り道 僕の足 白黒の真昼

呼吸はどうか 普通かどうか 手を当てた胸に

記憶が揺れる 混ざって溢れる

離さないで 離さないで 誰がそこにいるの 

 

“帰り道”という日常に、突然襲ってくる。フラッシュバックの、日常への侵入性。“呼吸”が普通でなく、速く大きくなる。苦しい。

この後「まだ心臓が まだ心臓が」というフレーズもありますが、1回目のこれは、呼吸と同様に心臓の鼓動が速く大きくなるというイメージでいいと思っています。

フラッシュバックは交感神経系の反応で、呼吸と心臓に影響が出ます。

 

そして“記憶が揺れる”。記憶がストーリーとならず断片化されるトラウマ記憶の特徴と、それを混乱しながら体験しているフラッシュバックの特徴が伺えます。

 

歩かなきゃ 走らなきゃ 昨日に食べられる

どうしても見る 見たくない傷

忘れないで 忘れないで 心だけが世界

フラッシュバックは逃走/闘争反応を引き起こすもので、

“昨日”から逃げる、“見たくない傷(=トラウマ)”から逃げる、ということでしょう。

 

途中のまま 止まったまま 時計に置いてかれる

数秒後出会う景色さえも 想像できなくなってしまった

 

ヴァン・デル・コーク先生によれば、フラッシュバック中には、脳の「時間管理者」とも言える背外側前頭前皮質の機能が低下するとのことです。

すると人は時間の感覚を失い、過去、現在、未来の感覚がないまま、今の瞬間に閉じ込められてしまう。そして過去の記憶に圧倒されます。

それはまさに「昨日に食べられる」という表現に合うのではないかと思います。

 

どれが誰 誰が僕 白黒の真昼

思考はどうか 自分かどうか どこまでが本当か

考えるたび 溺れそうになる

 

登場人物が複数いても、実際には同一人物であろうと解釈される歌詞はBUMPでは高頻度に出てきますので、今後違う曲で取り上げます。

私は、このような歌詞はPTSDの解離の結果、自分の中に複数の人格がいることを示している と解釈をしています。

この歌詞では、フラッシュバック中には特に「セルフ(自分そのものの人格)」がコントロールを失っている様を表しているように思います。

 

さて、そんなフラッシュバック真っ只中で、やっとポジティブに聴こえる言葉が後半に出てきます。

絶やさないで 守り抜いて 弱く燃える灯り

(中略)

あの声を 温かさを 確かめて まだ心臓が

の部分。あとは

パレードは続く 僕はここにいるよ

 

この“灯り”は、この曲においては夢とか、信念というレベルには届かないもので、

      「僕(という人格)はここにいる。僕は生きている。」

という根本的なセルフの欲求。そしてとにもかくにも生き延びて欲しいという藤原さんの思いが込められているように感じています。

このときの“心臓”は、パニック、苦しい動悸ではなく、まだ心臓が生きている、鼓動が続いているということを示しているのではと思っています。

 

なお、最後のサビ?で繰り返される、「心だけが世界」は解釈が難しかったのでまたどこかで。映画後編の主題歌「コロニー」の“心が作った街” につながっているような気がしています。

 

本日はこの辺で。

 

参考・引用文献↓

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法

身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法